トリーメクで服用開始…しかし
トリーメクで服用開始
2016年5月9日の外来で、担当医のK先生から
- 自立支援も取れたし服薬を始めましょう。薬はいろんな種類があるけど先ずは1日1錠で食事無しでも飲めるトリーメクで行きましょう(※1)
- 定期的に決められた量での服用ず服用し続けて下さい(*2)
- 稀に副作用で偏頭痛が出る人が居るけど診察したいから、次回は3週後の5月30日に受診入れます。具合が悪くなったりしたらいつでも連絡してくださいね。
翌朝から緊張しつつ「どうか体内のVIRUSを減らして下さい」と独り言を呟きながら服用を開始しました。
※1 トリーメクは、3剤(DTG+ABC/3TC: ドルテグラビル+アバカビル+ラミブジン)の成分が一緒に入っている1錠タイプ(STR)の薬で2015年3月16日に承認された新しい薬です。この時は食事関係無しに1日1回の服薬で済むという利点で選びました。錠剤は紫の毒々しい色で大きいです。
*2 定期的な服薬は薬の血中濃度の維持と薬剤耐性VIRUSを発生させない為に不可欠です。専門用語ではアドヒアランスと言って、患者が積極的に治療方針決定に参加し、自らの決定に従い服薬することを目指す姿勢のことです。
副作用?
飲み始めた5月10日の夕方に37.8℃の発熱。その後は
- 奇妙な発熱(1日に34℃から39℃を乱高下)
- 下っ腹の激痛
- 皮膚に赤いポツポツが出来て痒い(*1)
の3症状に悩まされました。副作用は稀と聞いているし、次回診察まで時間が有るのでこれらの症状を放置。副作用をWebで検索しても、得られる情報は薬剤メーカーの添付文書(*2)と、服用順調◯ヶ月経過のBlogばかりでした。
※1 以前のHCV治療時にテラプレビル(Teraprevil)で出た薬疹と似ている気がしましたが、何も考えないことにしました。
※2 トリーメクはの副作用として「めったにないですが」の但し書き後に以下の記載があり不安に駆られました
重い全身性の過敏症..発疹、発赤、じんま疹、発熱、吐き気、吐く、下痢、腹痛、眠気、けん怠感、筋肉痛、関節痛、頭痛、息苦しい、息切れ、のどの痛み、咳、目の充血、血圧低下。
重い皮膚・粘膜障害..発疹、発赤、水ぶくれ、うみ、皮がむける、皮膚の熱感や痛み、かゆみ、唇や口内のただれ、のどの痛み、目の充血、発熱、全身けん怠感。
血液障害、貧血..発熱、のどの痛み、だるい、皮下出血(血豆・青あざ)や歯肉からの出血、息切れ、動悸、めまい、顔色が悪い。
膵炎..吐き気、吐く、上腹部~背中の激しい痛み。
乳酸アシドーシス・肝腫大(脂肪肝)..吐き気、吐く、腹痛、下痢、けん怠感、息苦しい、息が荒い、筋肉痛、手足の震え・脱力、歩けない、動悸、急激な体重減少、意識の低下、右上腹部の張り・圧迫感。
横紋筋融解症..手足のしびれ・けいれん、力が入らない、筋肉痛、歩行困難、赤褐色の尿。
意識障害、けいれん..混乱・もうろう状態、異常行動、取り乱す、意識低下、筋肉のぴくつき
全身けいれん(ふるえ、白目、硬直)。
心不全..息苦しい、息切れ、胸が苦しい、動悸、疲れやすい、むくみ、急な体重増加
HIV感染確定
HIV感染確定
前回の告知から約1週間後の2012-10-30、S先生が「検査結果を知らせたいんだけどセンシティブな病気だから患者さんあまり居ない15:00くらいに診察室に来て」と調整してくれたので、検査結果を聞きに外来診察に。そこで言われたのは
- S先生「精密検査の結果ですが…HIV感染してます。紹介状書きますから他の病院ご紹介しましょうか?」(*1)
- 俺「(あーやっぱり確定か…)HCVの事も有るので可能であれば、ここで治療を受けたいのですが…」
- S先生「正直なところHIV/HCVの重複感染うちでは前例が無くて…でも分かりました。明日、感染症の専門医に診てもらいましょう。それと腹部の造影剤CTを撮りましょう。」
- 俺「CD4やウィルス量はどれくらいでしたか?」
- S先生「CD4は623、ウィルス量は28,000ですね。今すぐ治療を開始しなくても良いとは思いますが、HIVとの重複感染は治療経験が無いので私なりに調べてみます。」
何故か本能的に継続治療を望んだのでした。いろんなパターンが有ると思いますが結果的には正解でした。なにせこの時はS先生以外への医療従事者不信が続いていたので。
※1 拠点病院のひとつでは有るのですが治療経験が少ないのと重複感染の取り扱いは治療のマネージメントが難しいので患者本人の意思を確認されたものです。
HIV感染告知
HIV要確認ポストカウンセリング
2012-10-24 前日に大事な話が有ると約束していたので、ベッドで待っているとS先生が「すいません、奥の応接室へ」入院患者が入って来ない広い部屋に案内されました。そこには、看護師1名、MSW(メディカルソーシャルワーカー)1名、検査技師1名、知らないDr.が2名の、S先生含めると総勢6名で、音楽が流れていました。応接室のドアが閉められると
- S先生「落ち着いて聞いて下さいね。実はHIV検査で要確認と出ています。これが検査室からの報告書です。」
- 俺「えっ…」 ※1
- S先生「肝生検の際に念の為、検査したのですが」
- 俺「…確定ですか?」
※1 この時は放心状態から「なんで俺だけ」と、どこにも八つ当たり出来ない怒りに充ちてました。その後すぐに「あんまり深く考えても結果は一緒だろうから…」と思って落ち着きを取り戻し「妻やパートナーになんて言おう?」「親には一生言えない」「どこで感染したんだろ?」「今後の性活への影響は?」「これからどんな症状が出るんだろ?」と考えていました。そして今この場で起こっている事が他人事の様に思えて来たのを覚えています。この時のことを3年半経過した今でも覚えているので一生忘れられいくらいの精神的ショック症状だったと思います。
- S先生「稀に疑陽性が出るので、精度の高い検査をしてみないと分かりません。ただHIVは死の病気では有りません。とりあえずお茶でもどうですか?」
- 俺「…」(お茶を飲みながら)
- S先生「20年前に輸血をされていますが、ここ最近HIV検査されましたか?」
- 俺「3年前(2008年)くらいに陰性の結果が出てますね」
- MSW「そうですか、前回の陰性結果は2008年頃ですね?」
- 俺「はい、そうなりますね」
- MSW「すごくプライベートな質問で恐縮ですが、性的パートナーは男性ですか?女性ですか?」
- 俺「男性ですね。ここ最近、接触したのは2ヶ月程度前でしょうか…」
- S先生「すいません、プライベートな質問してしまって。まずHIVはAIDSでは有りません。薬を飲み続ければAIDS発症を抑えるのでコントロール可能な疾患と言えます。」
- 俺「先生はどれくらいで疑陽性だと思いますか?」
- S先生「統計的には1%の確率で疑陽性ですね。この検査はアルコール性肝障害や性感染症ウィルスでも陽性と出ますので、今は何とも言えません。」
- 俺「分かりました。仮に陽性と結果が出た場合は今後の治療に影響しますか?」
- S先生「私は肝臓の専門でHIV関連の知識があまり有りません。ただ免疫の数値であるCD4カウントとHIV-RNA量で診断されます。どこか専門の病院を紹介することも出来ますし、うちで継続して診ることも可能です。」
- 俺「専門の病院でないと難しいんでしょうか?」
- S先生「正直まだ分かりません。確認検査に出しているので結果が出るまで1週間ほどかかります。その結果で今後のことを検討していきましょう。びっくりされましたよね?たつさんが思いの外しっかりしてて正直ホッとしてます。実は、こんな形での告知3回目なんですが前回の患者さんはその場で倒れちゃったんで。明日まで入院ですが何か気になることや質問が有れば、いつでも呼び出しや電話してもらって構いませんので。後はカンセラーが少しお話させて頂きますね」
- MSW「びっくりされましたよね?先ほどはプライベートな質問して、すいません。明日、退院と伺ってますが、結果が出るまでの1週間は長いと思いますが、明後日からはお仕事ですか?」
- 俺「いえ、金曜日だけ仕事です。遅くまで仕事してるので忙しさにかまけて、あまり考えずに済みますが、今後のこと考えたら仕事はしばらく休んだ方が良いのでしょうか?」
- MSW「今は確認検査の段階ですし、感染されている方の多くは、これまで通り仕事をされています。もちろん体調にもよりますが」
- 俺「そうですか。それでは普通通りに仕事に出ます。身近な人間には言わなくちゃダメですかね?」
- MSW「感染を誰かに言わなくてはならないことは有りません。この後、奥様やパートナーの方には要確認という結果をお伝えしようと思っていますか?」
- 俺「正直、まだ気持ちの整理がついてませんが、2人には伝えるつもりです。」
- MSW「信頼関係が充分有る相手でしたら、打ち明けることによって落ち着くかもしれませんね。これから1週間の間で何か不安な事が有れば、話がしたくなったり、質問などあれば、いつでも電話などでご連絡下さい。」
- 俺「はい、分かりました。」
- MSW「今は不安になったり混乱されていると思いますので気持ちが落ち着かない時は連絡下さい。このお部屋は時間長めに取って有りますので、落ち着かれるまでここにいらっしゃいますか?」
- 俺「少し、気持ちの整理がしたいので、まずはベッドに戻ります。」
- S先生「戻られますか?とりあえずお茶を飲んでから戻りませんか?」
- 俺「じゃぁ飲んだら戻りますね」
看護師が付いて来て、ベッドに戻り暫くボーッとしてました…というより放心状態でした。暫くして屋上に出て妻とパートナーに「大事な話が有るので出来れば会って話がしたい」とメールをしました。すると妻からは「明日、仕事休みにしたから明日、聞く」パートナーからは「夕方、お見舞いに行く時にきかせて」と返信が来ました。
夕方になるとパートナーが来たので「HIV陽性かもしれない、もし俺が移してたら一生、償うつもり。だから念の為検査を受けて欲しい」と告げると「伝えてくれて有難う。今はたつが一番混乱してると思うし、俺は明日、検査受けてくるから心配しないで」と言われました。
この夜パートナーは帰宅後、一人で泣いたそうです。俺は夜眠れずに屋上に出たら急に涙が止まりませんでした。これからの自分に起こるであろうイベントが不安でしょうがなかったのでベッドに戻り朝まで寝ずに、ひたすらPCでHIVの事、調べまてました。
このEntryを、この出来事が起こった2012-10-24とします。
HCVその3(2011〜2012年)HIV陽性判明
信頼出来る先生との出会い(2011)
さらに10年が経過した2011年、30台後半。インフルエンザにかかり近くの病院に行ったらAST・ALTの高値だったのを見たDr.が治療と専門医での診察を推奨。紹介状を書いてもらい日大で初診。紹介状に書いて有るDr.がたまたま休みか手術で外来に居ないので、変わりにS先生が診てくれました。今までの病歴を私なりに説明したところ、S先生いわく
- HCV治療は3剤併用療法でSVRが70%〜89%まで上がってきている(※1)
- IFNの副作用は相変わらず20年前と同じ
- 数年以内にIFNフリーの経口薬のみで治療可能になりそう(※3)
- HCV 20年の放置期間と年齢を考えると早めの治療を推奨
- おそらく肝硬変初期なのでは???
と言われ本格的な入院検査を実施するまでは定期的に通院で血液検査と時間のかからない検査をすることに。何故かS先生は、不思議と今までの医療従事者不信が解けてきた人でした。
※1 3剤併用療法とは、Pegインターフェロン(PegIFN)とリバビリン(RBN)とテラプレビル(Telaprevir)を組み合わせた治療。テラプレビルはプロテアーゼ阻害剤(Protease Inhibitor)の1種で、抗HIV薬のノービア等と同じ作用をします(最近HIV治療にPIは使わないらしいですが)
※3 IFNフリーの経口薬はハーボニーやゾバルディのことで2014年に厚労省の認可が降りました。薬価が1錠=¥80,000するので大変高価な薬ですが12週でSVRは100%、なおかつIFNの様な副作用が全く無いらしいです。服用期間が12週なので¥80,000*12週*7日=¥672,000,000…3割負担でも200万円近くかかるので、HIV同様にHCV治療も行政からの支援が有ります。もしこれを読んでる方で過去にHCV治療が中断された方が居たら是非、肝臓の専門医を受診して下さい。
余談ですが私は俗にいう遅咲きゲイでして、30過ぎで華やかなデビューを果たしました。HCVも確率は低いもののHIV同様に性交渉によって感染することを知っていたのでゴムは100%装着してました。…が遅咲きは狂い咲きの様な性活を送っていました。
定期通院で分かったこと(2012)
月に1度の外来と検査の結果は
- AST・ALT(昔でいうGOT・GPT)が400前後で高い
- 肝臓がん腫瘍マーカー(AFP)の値が少し疑わしい(※2)
- 超音波とMRIを見る限り肝肥大(肝臓自体が腫れている)と脂肪肝そしてうっすら影が
- 肝硬変の疑いは強いが肝生検してみるまで分からない
- 免疫グロブリンG(IgG)が高いけど原因が分からない(※5)
と言われ、肝生検したいので出来るだけ早めに入院検査を推奨となりました。AST・ALT高値は本人は自覚症状有りませんでしたがS先生いわく「身体だるくない?普通の人は立てないくらいグターっとなるんだけどなぁ…体力有り過ぎ!」と言われましたガラスのアラフォー舐めんなよ!?と思いながら聞いていたのを覚えています。またIgGの高値については自己免疫性肝炎が考えられるが更年期の女性に多いので考えにくいと言われました。
※2 AFPとは、胎児の血清中にみられるタンパクの一種で、出生後は消失しますが肝臓がんになると増加します。GOTやGPTなどの血液生化学検査とともに測定され、肝臓がんのスクリーニング(ふるいわけ)として用いられます。腫瘍マーカー AFP:肝臓がん・肝炎・肝硬変で高値を示します
※5 免疫グロブリンG(IgG)とは感染症、腫瘍、自己免疫性疾患を含むさまざまな抗体産生系の異常をきたす疾患のモニターに使用される値。
人生3回目の肝生検(2012)
2012年10月22日に検査入院。造影剤CT撮影を撮影し、翌日10月23日に、あの忌まわしい肝生検を実施し、ベッドで横になっていました。夕方になるとS先生と3人の知らないDr.4人でベッドに押しかけて来て「HIV検査の同意書※1」にサインを強請られ「明日、14:00から1時間程度空けておいて」と言われました。この時は、なんぞ物々しいな〜なんて思ってサインしましたが、まさかこれが術前検査のHIVスクリーニングが陽性*2で告知の前触れだなんて夢にも思ってませんでした
※1 HIV検査を行うにあたっては、基本的に患者本人の同意を取る必要があることが、平成5年の厚生労働省の通知で明示されています。
独立行政法人 国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センター 医療機関で発見するHIV感染症/自立に向けた療養支援/HIV感染症治療におけるRFP/RBT使用上の注意
※2 スクリーニング検査では偽陽性、偽陰性(False Positive)には注意が必要で私の場合は、アルコール性肝炎、STDによる DNA ウイルス感染症が疑われました。
このEntryをHIV告知 前日の日付2012-10-23とします。
HCVその2(2000〜2001年)
脳梗塞(2000)
前回のSVR失敗から9年経過した2000年、26歳。この頃は仕事が忙しく徹夜なんてザラで会社の理不尽さに耐えられず上司の机を破壊しながら耐え忍んでました。そんな矢先に、脳梗塞で倒れて緊急入院。ICUで3日後に起きた時に血液検査でAST・ALTの値が500前後だったのを見たDr.が「慢性肝炎になってるから治療を云々」と言われました。(ICUで言われたので記憶おぼろげ)この時は奇跡的に後遺症や障害も残らず退院出来たのですが、高血圧の薬を飲みつづけること以外は医療従事者不信により放置してました。
脳梗塞とは、脳血管が何らかの原因で狭窄(狭くなる)、閉塞(つまる)になるとその先にある脳細胞に血液が充分に行き渡らなくなります。脳細胞は血液に溶けている酸素と糖分で生きているのでこれが足りなくなると脳細胞は死んでしまいます。これが脳梗塞です。死んでしまった脳が手足の動きに重要な場所であれば手足の麻痺になりますし、言語に重要な場所であれば言語障害が出るのです。Neuroinfo Japan:脳梗塞
十二指腸潰瘍(2001)
翌年の2001年、トイレで用を足していたら小便器が真っ赤に染まる血尿と、嘔吐を繰り返すので、病院に行ったら、急性十二指腸潰瘍と診察され胃カメラで外科的処置をして、暫くおとなしくしてました。ここでもDr.がAST・ALTの値を見て治療を推奨。気乗りしないまま後日、肝生検(Biopsy)を行い「肝硬変一歩手前」と通告されました。この当時のHCV治療はPegインターフェロン(PegIFN)とリバビリン(RBN)の2剤併用だったで、SVR率は20%…前回のSVR失敗時の10%からは2倍の確率で良くなっていたのですが、前回のSVR失敗が頭をよぎり放置し酒呑んだくれてました。
胃潰瘍や十二指腸潰瘍は、粘膜、粘液、粘膜血流などの「防御因子」と、食物を消化する胃酸どの「攻撃因子」のバランスが何らかの原因によって崩れ、胃や十二指腸の壁の表面が溶けた状態です。両者を合わせて「消化性潰瘍」とも呼ばれています。十二指腸潰瘍|オリンパス おなかの健康ドットコム
このEntryをHIV告知前の日付2012-10-02とします。
その3(サードエピソード )に続く
HCVその1(1991〜1992年)
HIV陽性が分かったきっかけのHCV(C型肝炎)の罹患について書きたいと思います。
バイク横転事故(1991)
遡ること1991年、私がまだ17歳のピチピチだった頃に、バイクで事故を起こして救急車で搬送→入院、この時は骨折と出血が酷かったらしいので輸血により完治。退院してからは有り余る体力で復活。退院後は盗んだバイクで〜夜露死苦でハイティーンらしい生活を送っておりました。
ここでの輸血がHCV/HIVの原因・・・つまり薬害エイズとの関連性を疑った時期も有るのですが、HIVは2008年まで陰性だったのと、当時の病院にも医療記録が残っていないので、その可能性は除外(考えない様に)しています。
HCV罹患(1992)
退院後1年程度、酒がうまくない、身体がダルい、微熱が続くという謎の症状が続いてたのですがヤンチャだったので気にすることなく数ヶ月過ごしていたら、中島みゆきの「わかれうた」の様に、道に倒れて救急車で搬送されました。診断はHCV(C型肝炎)による急性肝炎で、そのまま1ヶ月入院となりベッド上で絶対安静というものでした。HCVの遺伝子型(GenoType)は1b、高ウィルス量でした。
HCVとはC型肝炎ウイルスで、HCVに感染し発症するウイルス性肝炎のこと。主な症状としては肝障害(AST・ALT高値)、黄疸(T-Bil高値)で、慢性化すると約60%が肝硬変へと進展し、肝硬変後は年間7〜8%が肝細胞癌を発症するHIVと似たウィルス性の疾患です。感染経路は血液によるものとMSM(疫学における「男性間での性的接触がある人」)の場合は性交渉により感染するものとされています。(※この頃はピチピチのノンケでした)
肝生検
検査をする以外は、ほぼ寝たきり入院生活を送っていたら、主治医のDr.が「たつ!肝生検しよっ!」と東京ラブストーリーばりに言ってきて、ほぼ無理やり強制で検査させられました。この時、充分なコンセンサス(インフォームドコンセント)が取れてない上に、検査実施も下手くそで「針が通らないから動かないでっ!」と高圧的に怒って来たのを覚えいます。この辺りから私の医療従事者不信が暫く続きます。
肝生検(Biopsy)とは、肝臓に針を刺して組織採取し、病理学的検査のことです。まず超音波スキャンで確認しながら皮膚から肝臓の表面まで麻酔に消毒と麻酔をし、穿刺部の皮膚を小さく切開した後、太い針を肝臓までぶっ刺して組織を採取するというもの。
インターフェロン(IFN)治療
2014年からハーボニーって経口薬のみで治療可能なHCVですが、1991年当時は、インターフェロン(IFN)が出たばかりで、IFN単体投与で治療を目指すものでした。1年間毎日筋肉注射するエグい副作用が伴う、残酷な治療だったと記憶してます。
IFN投与開始して暫くは、ほぼ100%の人で副作用が出ます。主な症状は発熱と全身倦怠感。後はおまけで頭痛、筋肉痛、食欲不振となります。ただし投与を継続することにより軽快します。また初期の発熱や頭痛は解熱鎮痛剤には坐薬や内服薬を使うことにより無理やり抑えることが可能です。
SVR失敗
1年もの筋肉注射と副作用に耐えた治療結果はSVR失敗でした。つまり「治療失敗しちゃったテヘペロ☆彡」でした。この時若かったのもあり「このやぶ医者ぶっ殺すぞ!もう医者の言うことなんて信じられっかボケ!」と医療従事者不信が加速していきました(※ちなみに母親はER勤務の看護師)
SVRとは(Sustained Virological Response)の略で、持続性ウイルス学的著効のこと。HCVの場合は「IFN治療終了後6ヶ月間、最も高感度の検出系を用いて血中HCV-RNAが検出されない場合に、IFNの治療効果がSVRであったと判定します」
SVR失敗の原因
NCGM国立国際医療センターの肝炎情報センターのサイトに書いてありますが、遺伝子型(GenoType)は1b、高ウィルス量は、IFN単体治療効果が最も期待できないので治療成功率は10%でした。私の行ってた病院は当時はよく分からん薬を「やった!モルモット来たから新薬試しちゃえ!」的な発想だったんでしょう。この頃の大事な思春期の思い出を返して欲しいです(笑)
SVRとは(Sustained Virological Response)の略で、持続性ウイルス学的著効のこと。HCVの場合は「IFN治療終了後6ヶ月間、最も高感度の検出系を用いて血中HCV-RNAが検出されない場合に、IFNの治療効果がSVRであったと判定します」
ウイルス遺伝子型 | 1型 | 効きにくい |
2型 | 効きやすい | |
ウイルス量 | 高ウイルス量 | 効きにくい |
低ウイルス量 | 効きやすい |
このEntryをHIV告知前の日付2012-10-01とします。
その2(セカンドエピソード )に続く